環境史や環境問題等の分野で第一線で活躍されている石弘之氏の著「感染症の世界史」を読みましたので、その感想を書きます。
前置きが長くなっているため、レビューのみを確認したい方は『「感染症の世界史」の概要』に飛んでください。
この本を手に取った理由
新型コロナウイルスの顕在化より何年も前に出版されているこの本、ハード版は洋泉社より2014/12/16に発行されています。私はkindle版(角川ソフィア文庫、2018/1/25発行)で読みました。
疫学的知識に乏しい私は、多数の予防接種を幼い子どもにスタンプラリーのように受けさせている中で、インフルエンザだけはどうして毎年予防接種を受けなければならないのだろうと疑問に感じており、インフルエンザを始め感染症とはそもそも何なのか、どうして私達はこんなに感染症を恐れる必要があるのか詳しく知りたいと思っている矢先にこの本の存在を知りました。
著者は石弘之氏ですが、高校3年生の頃に氏の著作「私の地球遍歴ー環境破壊の現場を求めて」を読んで強烈な印象を受けたことを覚えており、環境問題の分野で活躍する国際派ジャーナリストが読み解く「感染症の歴史」は珍しい上に得られるものが多いはずだと確信し、新型コロナウイルス流行以前より読みたい本リストに入れていました。
環境破壊がパンデミックに関係している?
読みたい本リストに入れて1年近く経ってからようやく読み終えたのですが、新型コロナウイルス感染者が世界で1000万人を超えた今となってこの本を読んだ理由は「環境破壊とパンデミックの因果関係」を追求したいと思ったからです。
2030年までに達成すべき17の目標を定めた「SDGs(持続可能な開発目標)」は2015年に国連会議で採択されたものですが、新型コロナウイルスのパンデミックがSDGsの達成をより困難なものにすることは疑いようのないことだと思います。7月初旬に国連のグテーレス事務総長もその認識を示しています。
ただ、6月30日にリリースされたSDGs達成度世界ランキングを掲載する「sustainable development report 2020」(sustainable development solutions network(SDSN)&bertelsmann-stiftung)の概要を読んで、個人的には新しい視点を手に入れました。
「新型コロナウイルス感染症の発生や拡大の背景には、グローバリゼーションと野生生物の生息地の破壊がある。」
環境破壊とパンデミックが表裏一体の問題であるならば、SDGsの2030年までの達成は置いておいても、「自然環境の保護」へのモチベーションは感染症予防の面からも非常に重要なものであり、両者は同時並行で対策を取られていくべきものなのかもしれません。
日常生活を営むだけでも労を要する「with コロナ時代」ですが、とにかくその視点を追求してみようと思い、環境問題に詳しい著者の読み解く「感染症の世界史」を読み始めるに至りました。
「感染症の世界史」の概要
「感染症の世界史」の構成は以下の通りです。
- 序章 エボラ出血熱とデング熱ー突発的流行の衝撃
- 第1部 20万年の地球環境史と感染症
- 第2部 人類と共存するウイルスと細菌
- 第3部 日本列島史と感染症の現状
- 終章 今後、感染症との激戦が予想される地域は?
序章 エボラ出血熱とデング熱ー突発的流行の衝撃
序章は2014年にハード版が発行される直前、西アフリカでのエボラ出血熱のアウトブレイクと日本での70年振りデング熱の発生を受けて書き足されたものだそうです。
エボラ出血熱
エボラ出血熱は専門家の間では起こるべくして起こった感染爆発だと言われており、熱帯林の大規模な破壊や集落の急膨張で住処を失った野生動物が人の生活圏に出没するようになったことによるものだと述べられています。
新型コロナウイルスもコウモリ由来だと言われていますが、コウモリは100種類以上のウイルスを媒介するそうで、エボラ出血熱のウイルスもコウモリ由来だと考えられているそうです。2014年流行のエボラ出血熱のゼロ号患者はギニア南部の2歳児の男の子だったそうですが、その地域の子ども達は日常的にコウモリを捕まえて食べていたそうです。
また70年代の流行時のゼロ号患者は東アフリカで市場で食肉として売られていたコウモリを食べたのが原因とみられているそうです。アフリカではブッシュミートと言って野生動物を食べる食文化があるようで、その狩猟にあたるときに噛まれたり、解体時の血液から感染することがあると別の章で述べられていました。
またエボラ出血熱は国際的なパンデミックにはなっていないもののアメリカ、イギリス、スペインなど他の国にも飛び火しています。潜伏期間のうちに短時間で世界中にアクセスできるようになった今日のグローバリゼーションが招いたものだと指摘されており、環境破壊とグローバリゼーションが感染症を世界中に広げ人類を脅かしているという事実を認識させられます。
まさに新型コロナウイルスにも通じる問題で、新型の感染症が深刻な国際的パンデミックを引き起こす可能性は以前から指摘されていた、というかSARSやMARSなども含め新型コロナ以前に既に起こっていたことなのだと思いました。
デング熱
2014年に東京都の代々木公園に棲む蚊が由来し発生したデング熱のことは、まだ記憶に新しいです。最終的に108人もの感染者が報告されています。
ウイルスが蚊→人→蚊と感染していくそうですが、最も人を殺す野生動物は蚊だと述べられています。感染症を人に移すことが目的の生き物で無いにも関わらず、図らずともウイルスを媒介する役割を持ち長らく人類を苦しめてきたのが蚊です。著書の中でも蚊が運んできたウイルスに倒れた歴史上の著名人が多く紹介されています。
蚊による感染症と言えば、沖縄県八重山地方では太平洋戦争中、住民達がマラリアがはびこる奥地に避難させられ米軍の爆撃よりもマラリアのせいで多くの人が犠牲になりました。祖父母が八重山出身なので「蚊は恐いもの」と度々聞かされてきたように思います。
昔の人は墓参りの時に花入れに10円玉を入れて帰り、水の中に銅のイオンを溶けさせてボウフラを生きさせないようにしたというエピソードが紹介されていました。ウイルスも宿敵なら蚊も負けじと人類の宿敵なのです。
第1部 20万年の地球環境史と感染症
第1部では生命誕生以降繰り広げられてきた人類と微生物(ウイルス・細菌)の戦いについて、ペスト、コレラ、天然痘、エボラ出血熱、マラリア、スペインかぜ、SARSやMARSなど、これまで人類を恐怖に陥れてきた感染症について説明されています。
生命共通の目的が「子孫を残すこと」ですが、微生物も生き残るために変異を繰り返しているそうで、人類が苦労してワクチンを開発しても微生物は耐性を身に付け、再び人類や動物達に侵入してくるのだそうです。これをイタチごっことし「鏡の国のアリス」に出てくる「赤の女王」になぞらえて説明しています。赤の女王がアリスに忠告したのは「同じ場所に止まっているだけでも精一杯駆けてなくてはならないのですよ」ですが、微生物の宿主(しゅくしゅ)たる人類始め動物たちは、生き残るためにはウイルスからの防御手段を常に進化させていなくてはならず、常にウイルスと攻防戦を繰り広げており「同じ場所に留まるために駆けている」状態なのだそうです。
元々移動を繰り返していた人類が定住化により感染症に悩まされることになったことや、西洋人がアメリカ大陸の開拓により感染症を免疫を持たないアメリカの先住民達に持ち込み大打撃を与えたこと、シルクロードは人や物だけでなくウイルスも運んだことなど、感染症から見る世界史が新鮮です。
第2部 人類と共存するウイルスと細菌
微生物はもちろん人を生存の危機にさらすものだけではありません。「常在菌」といい毒性を持たず人体に生息しているものもいれば、日和見菌といい人の免疫が落ちた時などに牙をむくものもあるそうです。
そもそも地球は微生物で満ちていて、年間200万トンを超える微生物(ウイルス・細菌)が雨のごとく降り注いでおり、地表40キロ上空から海面下10キロの深海底まで生息していると述べられています。私達は「見えない微生物」と共存して生きているのです。
第2部では、胃がんの原因となるピロリ菌、猫から移るトキソプラズマ原虫、性交渉により移るウイルス、帯状疱疹や水痘を起こすヘルペスウイルス、人類が常に新型の発生に怯えるインフルエンザ、HIV/エイズなどについて、章立てでそれぞれが詳しく説明されています。
トキソプラズマ原虫の章で面白かったのは、それによって脳内でドーパミンが過剰に放出され性格まで変わってしまうという点です。猫からトキソプラズマ原虫を移された人は、社交的で大胆な報告に性格に変わるという一説が紹介されていました。
だからインフルエンザは毎年予防接種が必要
インフルエンザの章では、インフルエンザがいかに変異を生みやすいものか近年中国から発生した新型インフルエンザの事例などから詳しく紹介されていました。
インフルエンザウイルスは毎年変異を繰り返して渡り鳥によって世界中にばらまかれているそうで、鳥から様々な動物を介して人に感染する可能性も指摘されているそうです。だからインフルエンザ予防接種は毎年必要なのです。
第一次世界大戦の終結を早めたとされるスペインかぜ(インフルエンザのファミリー)は、人類史上、1回の流行としては最大の死者・感染者を出しているそうです。世界中で5億人(当時の世界人口の4分の1)が感染したという発表もあるそうです。
第3部 日本列島史と感染症の現状
第3部では日本における感染症の歴史や現状などが紹介されています。
ハシカ輸出国だと揶揄されたことまであるハシカ対策後進国たる日本の現在のハシカ予防対策、かつて妊娠世代を襲った風疹の流行、縄文人が持ち込んだ成人T細胞白血病、弥生人が持ち込んだ結核について、それぞれ章立てで説明されています。
縄文人がもたらした成人T細胞白血病については、九州・沖縄及び北海道・東北にウイルス陽性者が分布しており列島中央部に極めて少ないことは、アイヌ民族と琉球人に縄文系の子孫が多く残っていることと因果関係があると述べられています。特に九州・沖縄は世界的に見てもこのウイルスのキャリアが集中している地域だそうです。
代わりに「国民病」と言われ国内で猛威を振るった結核は、弥生人が持ち込んだと述べられています。結核は若者にとって人生最初の関門と言われるほど日本で罹患率の高い病気だったそうで、結核に倒れた歴史上の著名人が多く紹介されています。
終章 今後、感染症との激戦が予想される地域は?
人類と感染症の戦いを予想する上で、中国とアフリカは公衆衛生上の深刻な問題を抱えており、感染症の巣窟になるうると述べられています。
序章でも、西アフリカの開発を中国企業が進めており、そこから感染症が発生しウイルスが中国に持ち込まれパンデミックを引き起こすことの危険性が指摘されていましたが、このグローバリゼーションの時代、違う国の話しだからと高をくくっている場合ではなさそうです。
新興感染症といわれる新たな感染症(HIV/エイズ、エボラ出血熱、西ナイル熱、SARSなど含む)は、1950年代以降、約40種が知られているそうです。豚、牛、ネズミ、コウモリ、野鳥など野生動物が保有するウイルスに由来するものが多いそうですが、自然宿主が不明なものもあるそうです。
世界では人口増加により都市人口が増え、それに比例しスラム街が増えることで感染症の温床が増えると指摘されていますが、日本では少子高齢化により高齢者が集う場所で感染症が猛威を振るう可能性が指摘されています。
人口増加により食糧(肉)がさらに必要となり、森林破壊の上に牧場などが作られ家畜の生育が増えれば、そこが感染症の震源になることも指摘されています。
歴史から学ぶべきこと
今後も感染症と人類の攻防戦は続いていくかと思いますが、森林破壊の直後にアウトブレイクする傾向にあるエボラ出血熱の例もあるように、感染症防止の観点からも環境破壊を食い止めることの必要性を考え続けていく必要があります。
野生動物の生息地が狭まり彼らが密集して住むようになることでウイルスにとって好都合な環境が生まれます。そこに人が何らかの形でアクセスすればたちまちウイルスは人体にも侵入します。
発症までの潜伏期間が長くなればなるほど、飛行機などでウイルスが運ばれ世界中に飛び火します。エボラ出血熱はアフリカの病気だと思いこんでいるうちに、いつの間にか隣国の中国で感染者が出ていることもあり得るかもしれません。
感染症の流行の陰に「差別」
歴史的に見ても感染症の流行の陰には必ずと言って良いほど差別がつきものだと改めて思いました。ひどい差別の事例が各章で紹介されていました。
同じ過ちを繰り返すことはやめ、知識を身に付け正しくウイルスを恐がるよう努めたいものです。
新型コロナウイルスのパンデミックの渦中にいる今、「感染症の世界史」は一読の価値ありです。
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