2020年1月13日(成人の日)、福島から来た「奇跡のピアノ」の演奏会が那覇市の琉球新報ホールであったので鑑賞してきました。
終始涙の止まらない演奏会で、その場に居合わせられたことをとても幸運に感じました。
演奏会に関する琉球新報掲載記事はこちら、福島民報掲載記事はこちらです。
「奇跡のピアノ」とは
福島県いわき市の豊間中学校に寄贈されたグラウンドピアノは、卒業式で「kiroro」の「未来へ」が演奏されたのを最後に東北大震災で被災しましたが、調律師の遠藤洋さんという方の尽力により蘇りました。
遠藤さんは、これまでにおよそ1万個もの部品を無償で取り替えてきたそうで、現在もなお調整し続けているようです。
「奇跡のピアノ」は、これまでに国内外約70箇所で演奏されてきたそうです。沖縄での演奏会は今回が初となります。
いくつもの奇跡が重なり今に至る
演奏会冒頭で、フリーアナウンサーの大和田新さんが「奇跡のピアノ」の由来を語られていました。
「奇跡のピアノ」たる所以のひとつに、被災後に自衛隊の方が体育館でピアノを見つけた時、撤去せずに救出することを決意し、隊員が各自持っていた水分補給用のペットボトルの水を使って汚れを落としたというエピソードがあるようです。
調律師の遠藤さんは損傷の激しいピアノを目にした時、補修することに諦めを感じたそうですが、ピアノに刻印された「寄贈」の文字からピアノの歴史を感じ取り、引き取って蘇らせることを決意されたそうです。地元でかまぼこ店を営む方が、孫娘の通う中学校の体育館落成を記念して寄贈したピアノだったとのこと。
一度は眠りについたピアノが、人の心が働いたことで生まれたいくつもの奇跡を経て蘇り、震災から9年経った今も多くの人に感動を与え続けているということが素晴らしく、またそのピアノが首里城火災後のタイミングで沖縄で演奏されたことにも意義があると思いました。
観客の想いと共鳴するピアノの旋律
プロの音楽家の方々を始め、那覇ジュニアオーケストラ、那覇少年少女合唱団、那覇市立伊志嶺小学校合唱団の出演があり、「さとうきび畑」「未来へ」「赤田首里殿内」など沖縄にまつわる曲の他、「群青」という福島県の小高中学校の2012年度卒業生と音楽教諭により作られた合唱曲の演奏などがありました。
演奏されたどの曲も、それぞれが演奏会の顔と呼べるくらいに素晴らしかったです。
曲を追うごとに「奇跡のピアノ」に乗って奏でられる音楽が観客の心を鼓舞し、会場から溢れ出す思いが沖縄全土に広がっていくようでした。会場のあちこちで涙の音が聴こえました。福島の再興、首里城再建に対する想いなどが音楽とシンクロし、そこにいない人の魂までも集い、平和への祈りが空へ突き抜けていくような演奏会でした。
進行を務められたソプラノ歌手の寺島夕紗子さんが、「緑陰(こかげ)」の曲紹介のとき、イントロの旋律でニライカナイからの魂を呼び寄せるという旨のことを話されていて、まさに音楽が鎮魂の役割も担っている瞬間に居合わせたような気がしました。
「さとうきび畑」の持つ力
公演名にも入っている「さとうきび畑」という曲を、作曲者の寺島尚彦さんの娘である寺島夕紗子さんの歌唱で聴けたことは得難い宝になりました。
1年半かけて生み出されたという「ざわわ」というオノマトペは、聴く人の胸に心地よく染み渡っていく言葉で、曲の中で何度も繰り返されることで独特の世界観を作り出しています。あまりにも有名な曲ですが、今回の歌唱は格別で、肩を揺らして泣いてしまうほどに心動かされました。
「さとうきび畑」の前に演奏されたのが、寺島葉子さんという夕紗子さんの母(なんと83歳だそうです!)が歌う「長崎の鐘」だったのですが、エレクトーンでの鐘の音の演出もあったり、1番、2番の後に拍手が起きたりと盛大だったので、その対比で素朴に始まる「ざわわ」もまた素晴らしかったです。
何度も繰り返される「ざわわ」「風が通りぬけるだけ」「夏の陽ざしの中で」の言葉の行間に、いくつもの情景や人の感情などが描き出されており、それだけではなく自分が最も大事にしたいことを思い出させてくれたり、大切な経験をフラッシュバックさせてくれる効果があるように思います。
静かで、力強くて、寂しさや悲しさや愛を全て内包しており、魂を癒やす力のある1曲だと改めて感じました。
寺島夕紗子さんは、「奇跡のピアノ」での「さとうきび畑」の歌唱を福島でも披露されたそうですが、そこに集った人の心を癒やし、優しく励ましたことだろうと思います。
多くの人に聴いてもらいたいと思わされる組み合わせです。
最後に
ピアノ演奏の横山歩さんが「今回の演奏でピアノだけ一度も音響を使わなかった」と話されていましたが、それにもとても驚きました。
調律師の遠藤さんが、演奏会のラストで舞台上で感想を求められ「音楽っていいですね、人っていいですね」と嬉しそうに話されていたのが印象的でした。
「奇跡のピアノ」がつなげた福島と沖縄の新たな縁、きっと居合わせた人みんなが遠藤さんと同じ感想を持ったと思います。