2020年のお正月に放映されたNHKの「ブラタモリ×鶴瓶の家族に乾杯」の新春沖縄スペシャルでは、浦添ようどれ、斎場御嶽、久高島などを中心にロケが行われており、地元の専門家による詳しい説明もあり深堀りした内容になっていました。
「沖縄の真髄は日の出にあり」をキーワードに、浦添ようどれを起点に太陽の昇る方向(東)に向かっていく旅程になっており、タモさん、鶴瓶さんが各々の番組のコンセプトを軸に各所を紹介する内容になっていました。まだそこを訪れたことの無い人にとっても、もう訪れたことがある人にとっても興味深い内容になっていたと思います。
今回は、番組で紹介されていたロケーションのひとつ「浦添ようどれ」を、「日の出」というキーワードを軸に紹介していきます。
「浦添ようどれ」とは
「浦添ようどれ」の簡単な説明は以下の通りです。
浦添ようどれは、浦添グスクの北側崖下にある琉球王国初期の王陵(おうりょう)で、13世紀に英祖(えいそ)王が築いたといわれています。その後、17世紀に浦添出身の尚寧(しょうねい)王が改修し、自身もここに葬られました。「ようどれ」とは琉球語の夕凪(死者の世界)です。
「浦添グスク・ようどれ館」配布パンフレットより一部引用して説明
戦災で破壊されましたが、2005年4月には修復・復元工事が完了しました。
英祖王と尚寧王
英祖王は、母親のお腹に太陽が飛び込んでくる夢を見た後に生まれてきたという逸話があるそうで、生涯の中で元寇を二度追い返したことがあり、「太陽の子(てだこ)」と称され人々に讃えられていたそうです。
尚寧王は、唯一浦添ようどれに眠る浦添出身の琉球国王です。第2尚氏7代目で、薩摩藩島津氏による琉球侵攻という琉球史の中で最も激動の時代を生きた王です。NHK大河ドラマの「琉球の風」ではサワケンが演じていました。
なお、尚寧王の妻アオリヤエは当初は別々のお墓に葬られていたそうですが、100年の時を経てこのお墓に移されたといいます。尚寧王は琉球侵攻後、薩摩に連行されアオリヤエと離れ離れの生活を強いられた末に琉球帰還後すぐに亡くなったので、死後100年経ちようやくひとつになれたという哀しき愛のストーリーがあるようです。
ようどれ入り口の「中御門」を抜けるとこのようにお墓が見えます。
西室が英祖王陵です。
東室が尚寧王陵です。
「浦添ようどれ」と太陽の関係
「浦添ようどれ」の設計は、「日の出」と密接な関係にあります。
てだ(太陽)の穴
まず、琉球の人々は「てだ(太陽)の穴」の存在を信じていました。
「てだの穴」とは太陽が昇ってくる穴をいいます。かつて琉球の人々は、地平は平面であり太陽は1日の始めに地下から出てきて、1日の終わりに地下にまた戻ると考えていたといいます。つまり、東の方角に、太陽が出てくる穴「てだの穴」があると信じていたそうです。
中御門(なかうじょう)で冬至の太陽を讃える
中御門(なかうじょう)といわれる石積みのアーチ門が、ようどれの入り口にあります。
この中御門は、冬至のときの太陽が昇る位置を計算して作られたそうです。ちなみに、この写真は反対側(ようどれのある方)から撮影したものになっています。
門の手前の二番庭に立ち、冬至の日に日の出を拝むと、門の真ん中に太陽が現れ神々しい景色が見られます。
1年で最も日照時間の短い冬至に太陽が生まれ変わると考えられており、冬至の太陽は再生の象徴だったようです。そんなわけで、冬至の日の出は琉球の人々にとってありがたみのあるものだったそうです。
「暗しん御門」で太陽が昇るのを追体験
「暗しん御門(くらしんうじょう)」について説明します。
暗しん御門は、ようどれに行く手前にある岩盤と石積みでできたトンネル状の通路のことです。
薄暗くひんやりとしていて、地下通路をとおって「あの世」に行くような雰囲気でしたが、沖縄戦で天井の岩盤は崩れてしまいました。「暗しん御門」の銘文より
銘文にはこのように書かれてはいますが、実は暗いところから明るいところに出るという体験が、太陽が地下から地平線上に出てくることの追体験になっているようです。
お墓に続く道が、太陽の通る道を実感させるものになっているとは驚きです。
英祖王と尚寧王のように人々から讃えられた王様が、「てだが穴」から出てくる太陽のように再び現れることを人々は願っていたのでしょうか。
戦災により天井の岩盤が崩れ落ちているので今は真っ暗な通路ではありませんが、真っ暗な通路を抜けた後の、中御門に現れる冬至の日の出を拝んでみたかったです。
「浦添ようどれ」から東の方に見える久高島
「てだの穴」があると考えられていた東の方角のずっと先に「ニライカナイ(理想郷)」があり、神様はそのニライカナイから現れると信じられていたそうです。
「浦添ようどれ」のある浦添グスクからは、1年に1度冬至の日に久高島から昇る日の出を見ることができるそうで、その久高島はありがたい島だと考えられていたそうです。
なお、南城市の「斎場御嶽」からも冬至の日には久高島から昇る日の出が見られるそうです。
冬至の時の太陽が通るルートに久高島、浦添ようどれ、首里城の3つが入っているそうですが、その位置関係がとても神秘的です。
久高島や斎場御嶽については、ここで紹介すると長くなるので別の記事で紹介します。
「浦添グスク・ようどれ館」について
「浦添ようどれ」の近くにある「浦添グスク・ようどれ館」では、実物大で再現された英祖王陵が見られます。又、浦添グスク・ようどれの歴史について詳しく学ぶことができます。
【場所】 浦添市仲間二丁目53-1
【開館時間】 午前9時~午後5時
【入館料】 大人(高校生以上)100円
小人(小・中学生)50円
【休館日】 月曜日・12月28日~1月3日
「浦添グスク」について
「浦添ようどれ」を訪れる際は、「浦添グスク」も併せて訪れることをオススメします。広々としており標高が高いため景色も良く、散策にも適しているスポットです。映画「ハクソー・リッジ」の舞台となったことなどもあり戦争の爪痕を感じるポイントでもあります。
最後に
「浦添ようどれ」を構成するそれぞれのパーツがどのような意図で設計されたのかを知ると、琉球の人々がいかに太陽をありがたい存在として崇めていたかということがわかります。
「日の出」というキーワードから沖縄を読み解くことはとても興味深く、深堀りのしがいがあります。そして、観光客には素通りされがちな浦添市ですが、「浦添ようどれ」は知れば知るほど魅力的なスポットです。
2019年10月1日より「モノレール浦添前田駅」が稼働しておりますが、その駅から徒歩10分程度というところに浦添ようどれはあります。
まだ訪れたことが無い方は、ぜひ一度「浦添ようどれ」を訪れてみてはいかがでしょうか。