ウチナーの心を描く「GINYU 伊芸銀勇物語 〜世界に虹の橋をかけて〜」観劇記

毎年10月30日は「世界のウチナーンチュの日」です。

「令和元年度の移民の歴史啓発事業」の一環として沖縄県主催で上演された「GINYU 伊芸銀勇物語 〜世界に虹の橋をかけて〜」を観てとても感動したので、その感想を書きます。

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「GINYU 伊芸銀勇物語 〜世界に虹の橋をかけて〜」の公演概要

「GINYU 伊芸銀勇物語 〜世界に虹の橋をかけて〜」公演概要は以下の通りです。

日時

【国立劇場おきなわ大劇場】

2019年11月4日(月)13:00 開演 & 17:00 開演

【宜野座村文化センターがらまんホール】

2020年1月19日(日)11:00 開演 & 16:00 開演

入場料

いずれの公演も入場無料です。ただし要予約となります。

このブログを書いている11月22日現在、1月の宜野座公演はまだ予約を受け付けているそうです。特設サイトより予約することが可能です。

作品あらすじ

以下、特設サイトより引用した作品あらすじです

不屈の精神で生きた移民の功労者・伊芸銀勇氏の人生を軸に、「文化・教育を通して移民生活に希望を与えた人々のつながり」と「時代を超えて受け継がれるウチナーの心」を描く。

伊芸銀勇(1908-2005)… 沖縄県宜野座村漢那に生まれる。1934年ペルーへ。日本語学校の教師、農業、ピアノ修理、飲食店経営など、さまざまな仕事をしながら、戦前〜戦後、激動の時代を乗り越える。ペルー沖縄県人会 会長・ペルー中央日本人会 会長などを歴任。

制作された方々

制作された方々は以下の通りです。

主催:沖縄県 (令和元年度 移民の歴史啓発事業)
制作受託:株式会社アイランド・プロジェクト
脚本・演出:新井章仁 監修:平田大一
音楽:島崎敦史  ダンス演出:西平士朗(スタジオパフォ)
舞台・照明・音響:ラインナップスタジオ

特別協力:宜野座村 共同制作:宜野座村文化センターがらまんホール

わたしの観劇記

以下、「GINYU 伊芸銀勇物語 〜世界に虹の橋をかけて〜」の観劇記です。

銀勇の情熱、正義感、愛が伝わる作品

脚本、演出、役者陣のパフォーマンス等いずれも素晴らしい作品でしたが、ここでは作品を通して見えた伊芸銀勇という人の情熱や正義感、家族や沖縄への愛について書きたいと思います。

【情熱】

いくら当時の沖縄に移民政策があったとしても、実際に海を渡り母国語の通じない場所で暮らそうというのは覚悟が必要です。安定的な仕事を捨て、家族の反対を押し切り、最初の一歩を踏み出したこともすごいですが、戦時中の外国人弾圧などにも屈せず、妻を看取った後も二人の子どもを育てながら移住先で生活し続けていこうとしたことにも尊敬の念を抱きます。

また、教師としてペルーに渡ると言いながら農業で一旗あげたいという野望を抱いていたという描写に、銀勇のやんちゃな心が見えて愛おしくなりました。尋常ではない開拓者精神が無いと異国に根を張り功績を上げることはできないと思いますが、やはり何でも「やってみたい!」という気持ちから始まるのだなと、月並みですが改めて思いました。

【正義感】

ペルーに渡る前は沖縄で教鞭を取っていた銀勇ですが、どのような思いで自分だけでなく生徒たちも海を渡らせようとしたのか、その描写に泣けました。実際、移民政策が支持された理由のひとつは徴兵回避だったようです。

【家族や沖縄への愛】

戦後の沖縄が困窮を救うために海外移住者が救援物資を送ったという話で有名なのが、「海から豚がやってきた」です。ハワイの沖縄県系人が募金を募り、食糧難の沖縄を救うために豚550頭を送ったという話で、うるま市民芸術劇場の敷地内に記念碑が建っています。

銀勇らペルー移住者も力を合わせて救援物資を送ったそうで、物資を送ることについてのペルー政府からの許可がおりたときの喜びように感動しました。

このように故郷を想う気持ちで移民者たちがひとつになり、故郷が困った時にはスクラムを組んで故郷を助ける。このような気概を持って生きていた偉大な先輩たちがいることは、ウチナーンチュにとってはとても誇りです。

華やかなダンスシーン

銀勇の長い人生におけるいくつものターニングポイントを描いており、沖縄・ペルー・北米・南米・ハワイと国境をまたぐ舞台だったので、場所や時間が大幅に変わっていきますが、その場面場面で効果的にダンスシーンが使われていて、舞台を華やかに演出していただけでなく、その場所や時間を自然にまたいでいて作品に引き付けられました。

なんとダンサー達は、開場から開演までの間ロビーにいて、華やかなペルーの衣装で観客をお出迎えしてくれました。

銀勇の孫 研治さんの紡ぐメロディー

作品の大団円は「ウチナーンチュヤイビーン」という歌を登場人物全員で歌うシーンになっており感動的でした。とても素晴らしい歌だったのですが、登場人物の1人でもある銀勇の孫にあたる県系三世の伊芸研治さんが実際に創作された曲だということにも驚きました。

また、上演後には本人の歌唱による「島愛さウチナー」という曲も披露されました。この曲は2018年にペルーで開催された「世界若者ウチナーンチュ大会」のテーマソングに起用されていたとのことです。

両曲ともパンフレットに歌詞が掲載されていますが、研治さんの紡ぐ歌詞は沖縄生まれ沖縄育ちの人には書けないものがあると思いました。おそらく多くのウチナーンチュの心情にしっくりくる曲であろう「島人(しまんちゅ)ぬ宝」(BEGIN)の持つニュアンスとは違う、遠くにいて第二の故郷の沖縄をおもうからこそ生まれるたもので、どこか新鮮さが感じられ面白かったです。

例えば、私は「ウチナーンチュヤイビーン(=私は沖縄人です)」と発したことが一度もないのですが、この言葉のもつ力強さにはっとしました。「私は日本人です」「私はペルー人です」と言うのではなく「私は沖縄人です」と言うこと。遠い地に住んでいる母国語の違う人が沖縄を誇らしく思いこんなふうに歌っているのだ、ということが新たな発見だったし、こそばゆいような気持ちにもなりました。

「島愛さ(しまがなさ)ウチナー」は研治さんの歌唱と一緒に観客も含めて会場にいる全員で歌うというものでしたが、この公演があった11月4日は首里城火災から1週間も経たない時でした。観客の中には、まだ気持ちの整理がつかずどこに向かっていけば良いのかわからないという心境の人も多くいたと思います。沖縄への愛が溢れるこの曲を歌っていると、自然と涙が溢れてくるのは私だけではなかったと思います。「沖縄の人が悲しい気持ちの時に励ましてくれる」という点が、まさに「海から豚がやってきた」にも通じる世界のウチナーンチュからのギフトだと思いました。今回は、食糧ではなく歌で。

筆者も僅かながら海外留学経験がありますが、遠い地にいると自分のルーツに誇りを持てるということがとても励みになります。繰り返されるサビの「ありがとう おじいおばあ」に深く共感しました。

当日配布パンフレット

  

世界のウチナーンチュについて

移民政策があった昭和13年頃までの約40年で、沖縄から7万人を超える人が移住していったそうです。これは当時の沖縄県の人口の約12%にあたるとのこと。今では世界各地に約42万人の県系人がいると推計されているそうです。

5年に1回、世界中の県系人や沖縄を愛する人が集まる「世界のウチナーンチュ大会」が開催されており、第7回目は2021年に開催される予定ですが、「世界のウチナーンチュ大会」の詳細や世界の県人会の活躍などは、「世界のウチナーネットワーク」(沖縄県沖縄県文化観光スポーツ部 交流推進課のサイト)で確認することができます。

なお、10月30日が「世界ウチナーンチュの日」として制定することが宣言されたのは第6回世界のウチナーンチュ大会閉会式(2016年10月30日)においてで、同大会実行委員会会長は故翁長元知事が務めておられました。

毎年10月30日は、世界のウチナーンチュのことに思いを馳せてみようと思います。また、第7回世界のウチナーンチュ大会の開催を楽しみにしておこうと思います。

最後に

「GINYU 伊芸銀勇物語 〜世界に虹の橋をかけて〜」には、このブログではとても紹介しきれない魅力的な要素がたくさん詰まっていました。ハワイ移民二世の比嘉太郎が創った映画「ハワイに生きる」を銀勇が南米中に広めたエピソードもとても大切なものです。

きっと観る人によってどのシーンやセリフに感動させられるか、あるいは勇気づけられるかということも違うと思います。また、親戚に県系人がいる人にはまた違った見方があるのだろうと思います。

ストーリーも役者陣も演出も、出演されたエイサーやフラダンスの団体のパフォーマンスも全て魅力的で、力強い「ウチナーンチュヤイビーン」の大団円で閉められるとても感動的な作品でした。

大きな夢に向かっていこう!という気持ちにさせてくれる作品です。作品中に「沖縄を愛する人なら誰でも参加できるのが世界のウチナーンチュ大会だ」というメッセージがありましたが、この作品もウチナーンチュか否かを問わず、夢と勇気を与える作品として多くの人に観てもらいたいと思いました。

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