初めて沖縄にできた鉄道はゆいレールではなく、「ケービン」という愛称で呼ばれた軽便鉄道です。
去年、ファーマーズマーケット与那原あがりはま市場で軽便鉄道のイラストが描かれた「ケイビン焼き」というご当地の大判焼きを見つけました。
それをきっかけに与那原に「軽便与那原駅舎」というスポットがあることを知り、近いうちに行こうと思っていたのですが、先日その願いを叶えることができました。
ドラゴンフルーツ入りのモチと北海道あずきのつぶあんをはさんだユニークで美味しい「ケイビン焼き」については、以下の記事で紹介しています。
元々あった場所に復元された「軽便与那原駅舎」
1914年に那覇と与那原間を走る軽便鉄道が営業開始し、「ケービン」の歴史の幕は上がりました。
営業開始後わずか30年ほどで戦争で駅舎や路線が破壊され営業停止を余儀なくされてしまった軽便鉄道ですが、70年の時を経て元々あった場所に駅舎が資料館として蘇りました。
この写真は資料館入り口で等身大のオジーがお出迎えしてくれています。オジーの足元に日付が書いてあるので記念写真スポットになります。
屋外の看板に、鉄道開通100周年を迎えた2014年に歴史を後世に伝えるため展示資料館として復元されたと記載されています。
駅舎の遺構(9本の柱)
資料館裏手に国の登録記念物として登録されている駅舎の遺構(9本の柱)を見ることができ、確かに昔ここに駅舎があったのだと実感させられました。
県営鉄道唯一の鉄筋コンクリートでできた2代目駅舎が戦争により破壊され、柱と壁のみ残されたそうですが、その柱と壁を利用して建物が改修され与那原町役場に生まれ変わったそうです。
鉄筋がむき出しで、戦争の爪痕と長い年月を感じさせられるような生々しさがあります。
与那原町役場が移転した後は農協の与那原支店に変わり長らく親しまれてきたそうですが、その農協も移転が決まり、駅舎がここに存在していたことの証として柱のみこのような形で残されることになったそうです。
栄えていた与那原町
「軽便与那原駅舎」は小さな施設ながらも学びのコンテンツが豊富です。
年表に沿って並ぶ軽便駅舎があった当時の情景を映した写真、駅舎周辺の様子を表したジオラマ(とても細かく丁寧に出来ており時間をかけて見たい)、ここだけでしか観られない特別映像「与那原軽便物語」などから、軽便鉄道や駅舎や与那原町の歴史を学ぶことができます。
ジオラマを見ると鉄道の周辺には赤瓦の民家が多くありました。当時駅舎周辺に住んでいたのは裕福な家庭だったとのことです。またその名残で与那原には今でも赤瓦の製作所が複数あり、沖縄瓦の有数な生産地となっています。
鉄道の隣に馬車道もあり、物資の中継地点として栄えていた当時の与那原の様子をうかがい知ることができます。「ジオラマの中に何頭の馬がいるでしょう」というクイズがありましたが、すぐに見つけることができなくて面白かったです。
東宮お召運行について
1921年3月6日、昭和天皇が皇太子時代にヨーロッパ外遊の途中で沖縄に立ち寄り半日滞在した際、船で与那原まで来た後そこから那覇へ行くため軽便鉄道が東宮お召列車として運行したそうです。2018年に写真の記念碑が建立されました。
昭和天皇にとっては生涯で1度きりの沖縄訪問だったそうです。
穴開け体験もできる入場券(切符)
入場料を払うと、このようなレトロで可愛い切符を手渡されました。「那覇より与那原ゆき」と書かれています。
当時の道具を使い、穴開け体験をすることもできます。
子どもが楽しめるポイント
資料館中央にキッズスペースがあり鉄道のプラモデルで遊ぶことができます。沖縄にはゆいレールしか走っていないのにも関わらず、沖縄に住む子ども達もほとんど漏れなく鉄道や汽車が好きです。うちの2歳の娘も楽しく遊んでいました。
また駅員さんの帽子がサイズ豊富に揃っており、それをかぶって記念撮影することができます。駅員さん気分を味わうことができ、これも子どもの楽しめるポイントだと思います。
今回試してはいないのですが、VR(ヴァーチャルリアリティー)を楽しむコーナーもあるようです。子ども達はもちろん大人も楽しめそうです。
「与那原軽便駅舎」の場所や営業時間など
「与那原軽便駅舎」の場所や営業時間などは以下の通りです。
「与那原町立軽便与那原駅舎展示資料館」の施設案内
料金100円(町内及び小学生以下無料) 営業10:00~18:00 休館日火曜日・年末年始(12/29~1/3) 駐車場5台(離れ:上の森公園駐車場約70台) その他車椅子1台貸出有り
多目的トイレ有り 主管与那原町役場 観光商工課(098-945-5323)
〒901-1392沖縄県島尻郡与那原町上与那原16与那原軽便駅舎ウェブサイトより引用
「軽便駅舎」が復元されたことの意義
31年の短い歴史で幕を閉じたケービン。
私は30代ですが、親世代も本物の軽便を見たことが無く馴染みがありません。家庭によると思いますが私は祖父母からも話を聞いたことがありません。
この資料館により確かにケービンが存在していたと実感でき、郷土の知らなかった一面を知れて良かったです。
わずか100年(1世紀)の間に、鉄道が初めて走り、県民の足として親しまれ、物流を促進させ県経済に貢献してきたのにも関わらず、戦争が勃発し、それによって破壊され、再び資料館として蘇るという変遷。
戦争というカタストロフィーを乗り越え、70年の時を経て駅舎が元の場所に蘇り、その軌跡を振り返ることができるのは一つの沖縄振興の証だと思います。ゆいレールの延線を果たした2019年の沖縄によくぞここまで来たと拍手を送りたい気分になります。首里城再建のひとつやふたつ困難な課題ではないと思えます。
「ケービンの跡を歩く」金城 功 著 (1997年初版) 2020.02.10更新
3年かけてケービン跡を丹念に踏査した著者によるケービンに関する貴重な記録であり、ケービンに関する書籍の草分け的存在の書籍です。ブックレビューを書きました。
20年以上前に初版が出版されたものですが、普段馴染みのあるあんな場所にもケービンがあったなんて!と驚きを得られます。調査先で出会った人のインタビューも面白いです。