東風平先生の作曲した「相思樹の歌」
「ひめゆり平和祈念資料館」で「相思樹の歌」を聴いたとき、胸が詰まりました。ひめゆりの学生達は卒業式にこの曲を歌うはずだったのに、代わりに「国のために戦おう、そのためなら喜んで死のう」というような内容の曲を歌わされました。この作品の中でもそのエピソードが出てきて胸が痛みました。
「ひめゆり平和祈念資料館」についてはリニューアルオープンのタイミングで記事を書きました。
「相思樹の歌」はひめゆり学園の音楽教諭だった東風平先生が卒業式のために作った曲で、学び舎を巣立つ友だちを祝福する歌です。
東風平先生にこの作品の中で出会えたことが嬉しかったです。ももちゃんの目を通して見る東風平先生は素敵でかっこいい先生でした。「普段はひょろひょろして歩く姿もよわよわしい」と描写されている東風平先生は、ひとたびピアノに向かえば人が変わったようにダイナミックな演奏を奏でるそうです。その落差がももちゃんには「おかしくてしかたなかった」とあります。
ももちゃんにピアノを弾くことの楽しさを教えた東風平恵位先生は、23歳の時に「生きろ」とももちゃんに言い残し、戦時下で命を落としました。
「相思樹の歌」の歌詞は、福島県郡山市出身の太田博さんが作ったのだそうです。同じく沖縄戦で命を落とされています。
沖縄戦の凄惨さが静かに伝わる
最初から最後まで貫かれた優しい筆致は、子どもたちに伝わるような文章の紡ぎ方になっていて、大人の心にも届きます。イラストも生き生きと描かれていて、ももちゃんがピアノを聴いた時の高揚感などが伝わります。
ピアノに支えられ、励まされてきたももちゃんの視点を主軸に描かれたこの作品は、戦争を真正面から扱う「戦争のおはなし」ではなく、あくまでピアノの好きなももちゃんの心の動きを大切に描かれた作品なのです。
そこから沖縄戦の凄惨さが静かに伝わってきます。勉強の時間が奪われたり理不尽だと思うことが増えても、戦争はどこか遠いところの出来事のように思えていたももちゃん。陸軍病院で兵士の手当てのために働かされて寝る場所や時間すらなくても実体の掴めなかった「戦争」、仲良しの貞子さんが亡くなった時に初めて「戦争」が何かわかったという描写があり、はっとさせられました。そうなのだと思います。大切な人が暴力によって無慈悲に奪われる。それが戦争なのだと思います。
仲間と歌う「相思樹の歌」
ももちゃんは沖縄戦を生き抜きました。戦後は生き残った家族のために働き、やがて結婚して家族を作ります。忙しさの中でピアノを思い切り練習する時間はなかなか持てません。
仕事や子育ても落ち着き、再びピアノに向かう時に弾いたのは「相思樹の歌」でした。ももちゃんの伴奏に合わせて、ひめゆりの仲間たちが歌います。
この作品は子どものために書かれた本ですが、その描写は子育て世代の胸も打つものだと思いました。少女の心を大切にし続けることで、それを支えに生きていけるのだと思いました。
ももちゃんの好きな「銀波(ワイマン)」の旋律は、ももちゃんの心からなくなることはありません。東風平先生が弾いてくれた「月光(ベートーベン)」もずっとももちゃんの胸の中に息づいています。働いて貯めたお金で月に一度レコードを買う楽しみ、とても共感できる気がします。
そして「相思樹の歌」は、次世代へと引き継がれていきます。
2023年は戦後78年
2023年は戦後78年です。沖縄戦にまつわる凄惨な出来事がたった78年前の出来事だと思うと恐ろしいです。日本は勝つんだ、国のために死ぬんだと人々が集団で催眠術がかかったようになっており、夢も希望も命も全て奪われる「戦争」に罪のない人達が大勢巻き込まれたのです。戦時下のひめゆり学園の先生達の中には、東風平先生の他にも「国のために死になさい」などとは言わず、生徒達にとって大切なことを言い続けた先生がいました。「自分を大切に生きなさい」といった当たり前のようなことを子ども達に伝え続ける、その信念を曲げずに生きていくこととはどういうことか考えて続けていきたいです。
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