ミュージカル「ジェーン・エア」を観たことがきっかけで、西インド諸島出身の作家ジーン・リースの書いた「サルガッソーの広い海」を読みました。ポストコロニアル文学と言われる本作、解釈が読み手によって様々になりそうだと感じました。
- タイトル サルガッソーの広い海(ジーン・リース・コレクション)
- 著者 ジーン・リース(Jean Rhys)
- 翻訳 小沢瑞穂
- 出版 みすず書房 (1998/11/1)
「ジェーン・エア」に出てくる「狂人」のバーサ
「ジェーン・エア」に出てくる英国人男性ロチェスターが、父に指示されて3万ポンドと引き換えに結婚させられた相手が西インド諸島の奴隷商人の娘バーサで、「サルガッソーの広い海」は彼女が主体の物語です。
「ジェーン・エア」の中でバーサは母親と同じく精神病を患っており、酒飲みで淫らという設定になっています。また奇妙な笑い声をあげたり人に危害を加えたりするところが動物的で、台詞がまったくないため、バーサの主張やな狂気に至った理由は分かりません。
一方、重婚は罪となるため彼女の存在はロチェスターとジェーンが結婚する上での障壁となります。最終的には火事でバーサが亡くなったことでロチェスターとジェーンの結婚が可能となり、バーサの側に立つとやりきれないようなモヤモヤした思いを抱かせられます。
ロチェスターの台詞から彼は結婚当初からバーサを忌み嫌っていたことが分かり、愛したことはまったくないように受け取れます。ジェーンはもちろんバーサの存在を公には隠していたことも手伝い、バーサに関する観客の与えられる情報は少ないのです。
「ジェーン・エア」を観て、ロチェスターがバーサを嫌うのは彼女の性格に由来するのか、経緯に由来するのか、支配者(英国)と被支配者(西インド諸島)という構図が根付いていることは当然なのですが、どの程度それが食い込んでいるのか、その深堀りを「サルガッソーの広い海」に求めたいと思いました。
ミュージカル「ジェーン・エア」の感想はこちらです。

ロチェスターが感じる「地獄」
「サルガッソーの広い海」では第一部と第三部がバーサの語り、第二部がロチェスターの語りとなっています。そしてバーサの本名は「アントワネット」という設定になっています。(バーサはロチェスターがつけたニックネーム)
全体的にアントワネットは不遇な運命に抗うことなく流されるままに生きており、逆境を切り開く強い意志を持ちません。一方、ロチェスターは結婚相手を「忌み嫌う」ことを深く自覚していき、その心情が読み手にダイレクトに届きます。
なにしろ第二部は「これですべてが終わった」という節から始まります。ジャマイカの色鮮やかな景色は彼にとっては過剰で、それと対照的に彼の心は暗く、マサークル(虐殺村と名付けられた村)から始まるハネムーンに不吉な予感さえ感じています。
彼は自分が金の媒介人となり父から見放されたと思っており、彼にとってカリブ海での新婚生活は「マイナス」そのもので、アントワネットを出会った当初から蔑視していたと思われます。でも二人はちゃんと会話をしていたし、ロチェスターがアントワネットに歌を歌ってあげる場面もあります。
強く忌み嫌うようになっていったのは、第三者からの吹き込みで「そんなことは聞いてなかった!」と思うようになってからです。
アントワネットが最後にどうなるかを知っているので、短い青春のシーンにも哀しいオーラがつきまとっているようでした。
カリブ海の作家ジーンのまなざし
「サルガッソーの広い海」を書いたジーン・リースはイギリス領ドミニカ出身で、アントワネットはと同じく西インド諸島出身者です。ジーン・リースは、クレオール人(植民地で生まれた人達)であることに由来する生きづらさや実際の経験、肌感覚を作品に投影したと思われます。
本作から受けるクレオールの人達の印象は、植民地の黒人達から憎まれ、西洋では差別を受け、西インド諸島にも西洋にもどちらにも所属しきれない「揺らぎ」のアイデンティティを生きているということです。黒人達から「白いゴキブリ」「白い黒んぼ」と強烈な言葉で揶揄されるシーンが何度か登場し、その環境は西インド諸島に生きるクレオールに「ここではないどこかに行きたい」「自分ではない何かになりたい」という思いを持たせるものだったのかな、と思います。
彼女が「イギリスへの憧れ」からロチェスターにイギリスのことを質問するが、ロチェスターがどのように話しても彼女はロマンティックなシーンしか思い描けない、そのような場面もありました。
アントワネットは両親からのまっとうな愛を知らず、決められた結婚相手と一緒になり、その相手が財産の全てを持ち、自分で道を切り開いていくための芯の強さ、武器、選択肢がほとんどなかったと言えます。自分のせいではない理由でロチェスターの信頼や愛を失っていき、また彼が父親やその前の世代から自然と受け継いだ白人優位、男性優位の思想の下(同時にそれはロチェスターにとっての鎖でもある)、蝋燭の炎のように「自分」というものが揺らいでいき、それが後半になるにつれて加速していきます。
赤いドレスの映えるラスト
アントワネットはジェーンのように健全で自由な心を知らないまま、破滅の道を辿ります。イギリスへ渡ったのにそうと信じられない彼女の心は、サルガッソーの広い海にいつまでも彷徨っているのでした。
第三部は「ジェーン・エア」の中で、それが起こったという事実だけが説明される火事のシーンに導かれていき、アントワネットが館の中に広がる炎を前に、まさに生死の境目の向こう側に行こうとしている場面で閉じます。
火事を起こす前、アントワネットは赤いドレスを見つめて何かを思い出そうとします。赤から連想されるのは炎。そして炎によって全てを失った経験。その炎とは出身地で黒人達が放ったもの。
赤いドレスを見つめながらアントワネットはどのような心境でいたのか、多義的なものとして思い巡らせることができます。ロチェスターへの恨み、憧れていたはずの幻影イギリス、子どもの頃から今に至るまでの失望、ジェーンへの嫉妬、運命に対する諦め、クレオールとしての嘆き、黒人に対する羨望、それらの思いが「赤いドレス」から立ち上っているようです。
声を奪われた女性の声を聞く
「サルガッソーの広い海」は、アントワネット(バーサ)という「ジェーン・エア」の中では自ら言葉を発することが出来なかった、語る声を奪われていた一人の女性の「生」を見つめる物語です。
強い意志で道を切り開くことができなかったバーサは、最終的に「炎」に歩み寄っていき、そこに自分の存在証明を見出しました。
そのような哀しい結末に至ったのは、決して彼女の心が弱かったせいではないはずです。
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